Free Hug

オーストラリアからスタートであるが、
各国で広がっている。

・2006年10月4日、二人の学生(ショーン・ガーツ、
クリス・ブレジンスキー)が米国オレゴン州の
ウィルソンヴィルのウィルソンヴィル高校で
フリー・ハグズを実行した。
・ 台湾のカレッジの学生、ユー・ツウェイは
2006年10月に台北で「ハグ・エヴリワン・イン・台湾」
キャンペーンを始めた。
・  ピット・ストリート・モールでの大規模な
「フリー・ハグズ」の決行が、
ニューサウスウェールズ州 の労働者の日
〔2006年10月1日 オーストラリアでは祝祭日
「労働者の日」の日付は、州ごとに異なっている〕
に設定され、この告知がYouTubeや他メディア報道で
大量に伝達された。
・ 2006年10月後半にはイタリアのいくつかの都市で、
組織的に「フリー・ハグズ・キャンペーン」が行われた。
・ 2006 年10月27日には米国イリノイ州の
マッケンドリー・カレッジの学生たちが、
ワールド・シリーズ5回戦の始まる直前の
ブッシュ・スタジアム(ミズーリ州セントルイス)の前で
「フリーハグズ」を行った。
この様子がメジャーリーグの公式サイト
「MLBドットコム」を初めとする各メディアに採り上げられた。
・ 2006 年10月30日、マンは米国のオプラ・ウィンフリーに
彼女の番組「オプラ」出演依頼を受けた。
この番組のプロデューサーかかりつけの医者が、
YouTubeで「フリーハグズ」ヴィデオを見て
進言したからだという。マンは当日の朝、
収録スタジオの外に出て、
番組収録に参加するため待っていた観客たちに
「フリー・ハグズ」を申し込んでいった。
時間経過と共に、幾人かがマンとハグした様子が
番組スタッフによってカメラに収められ、
この日の番組で放送された。
・ 2006年 11月4日、ホアン・マンの新しいビデオが
YouTubeに投稿された。ここでマンは、
多くの人々がビデオを見て積極的な反応をくれたこと、
また多くの視聴のために払われた助力にもお礼を述べ、
各国で「フリー・ハグズ・キャンペーン」が
始まっていることを付け加えた。
マンはシモン・ムーアと「フリー・ヘルプ」と
名づけた慈善活動の構想を持ち出して、
参加を促した。これは「良きサマリア人」のひそみに習って、
必要なものが手に入らない人々への助力を、
出来るだけ仲介を省いて直に与えるというものだった。
この慈善活動は今では行われていない。
・ 2006年11月6日、中国の上海で24歳の"バイグ"という人物に
先導されて、11人からなるグループがキャンペーンを
行ったが、公共の場で集会を開く許可を得ていないと
当局に1時間勾留される結果となった。
・ 「フリー・ハグズ」の催しが2006年11月10日に
米国のコロラド州ボールダーで行われ、
地元メディアで報じられた。
・ ベルギーでは2006年の終り近く、
12月22、23日にアントワープで、
同月30日にはゲントで「フリー・ハグズ・キャンペーン」が
行われた。
 2006年11月18日にスイスのジュネーヴ で、
オンライン・コミュニティーの「ジュネーヴ・オンライン」が
先導して、初めて「フリー・ハグズ」の催しが行われた。
 「フリー・ハグズ」の創始者たちは2006年10月19日付の
「WHOドットコム」(オーストラリアの芸能誌のオンライン版)
にインタビューされた。
・ 2006 年11月25日、「フリー・ハグズ」を行った
米国シカゴ在住で友人同士のアンバー・グリヴェン と
ニコラス・マルコスは、現場にやってきた警官に向かって
ハグに加わるように説得した。
翌月10日に彼ら2人は他の友人を伴って、
今度は同市のダウンタウンで敢行した。
彼らはFOXニュース・シカゴのスタッフの取材対象にされ、
このレポートがニュース中で放送された。
2人が撮った初めてのビデオに使われた歌
(ビーによる"Gimme All You Got")のダウンロード販売からの
利益はユニセフに寄付された。
・ 2007年1月28日には台湾の掲示板サイト、
“PTT BBS"で出会った大学生グループが
「フリー・ハグズ」運動をカオシュン(高雄)の
アーバン・スポットライト・アーケイド(城市光廊)で始めた。
・ フランス政府は、AIDS(HIV)に感染した人々への
待遇差別撤廃に向けた構想のひとつとして、
街で「フリー・ハグズ」を申し出るサインボードを
掲げた見知らぬ人を抱擁するよう、
市民に働きかける予定だという。
・ オーストラリアABCのコメディ番組
「ザ・チェイサーズ・ウォー・オン・エヴリシング」
最新のシリーズで、製作者たちにより
パロディ・ビデオが作られている。"Free Feel ups"、"FreeWedgie"、"Free Root"そして"Free Sign"である 
・2007年4月14日、英国ニューカッスル・アポン・タイン 在住のポルトガル人ウェイトレス、
サラ・ヴィエラは、ニューカッスル・シティ・センター前の
通りで「フリー・ハグズ」を行い、
BBCニュースと地元の新聞両方で報じられた。
 「フリー・ハグズ」の言葉はYouTubeへのビデオでの登場以来、マイスペースやフェイスブックなど、
数多くのソーシャル・ネットワーキング・サイトを
通して、人々に浸透しつつある。

TITLE:フリー・ハグズ - Wikipedia

もちろんここ日本でも

TITLE:「ぬくもり求めて「フリーハグ」 若者たちに流行」話題!‐話のタネニュース:イザ!
DATE:2007/09/18 15:40


「一緒にハグ(抱擁)しませんか」−。街頭で「FREE HUGS(フリーハグ)」と書かれたボードを掲げ立つ若者たち。見知らぬ人と抱き合うことで生きている喜びを分かち合い、苦しみを癒やそうという運動がインターネット上の口コミを通じて全国で流行している。

 名古屋経済の好況を背景に高層ビルの建築ラッシュに沸く名古屋駅前で通行人に抱擁を求める若者たちを取材した。

 「初めて他人と抱き合ったとき、人間は温かいと実感できた」。名古屋市の男子大学院生で通称「ゆうり」さん(23)は語る。6月から、JR名古屋駅前などで連日3時間以上活動している。ネットの掲示板で呼び掛けると、20代を中心に十数人がボードを持ち集まる。少ない日は数人、多い日は数十人の通行人がハグに応じる。

 「何の変化もなく日々を消化していくだけだ」。ハグに参加する以前、日常に息苦しさを感じていたゆうりさん。駅前でハグを求めて立つ女性が気になっていた。

 だが、悩みを抱えていた友人の一人がある日ハグに応じ、それをきっかけに笑顔を取り戻した。「みんな触れ合いを求めている。自分もハグを通じて小さな希望を与えられるかも」。女性を見掛けて約2カ月後。ゆうりさんはボードを持ち街角に立っていた。

 精神科医で若者文化に詳しい香山(かやま)リカさんは「人と交わりたいが、踏み込むのは面倒という心理が強い、平板な現代を象徴する現象だ」と厳しい意見だ。

 記者(30歳、男性)も手製ボードを持ち、平日の夕方に名古屋駅前に立ってみた。行き交う人のいぶかしげな視線が痛い。約1時間後、手を広げ近寄ってくる制服姿の女子高生(18)とようやくハグできた。温かい。彼女は「私も“ハグラー”ですよ」とハートマークで縁取られたボードを広げた。

 ハグに応じてくれたカナダからの留学生(24)は「僕の国でもハグはするけど知らない人とはしないね。でも、ハグは気持ちいい。日本でも広まるといいね」と話していた。

■フリーハグ 見知らぬ人と抱き合い喜びを分かち合うことを目的とした運動。2006年ごろからオーストラリアで盛んになり、「ユーチューブ」などのインターネット上の動画投稿サイトでその様子が公開されたことから、世界各地に広がった。

Free hugについて その2

成り立ち

ビデオが2006 年9月22日にYouTubeに公開され、
2006年12月までに1500万もの閲覧を獲得してきた。
ビデオのキャプションによると、
これはオーストラリアのシドニーで収録された。
ビデオの中では、主人公(『ホアン・マン』という
仮名を名乗る)が「フリー・ハグ」FREE HUGと書かれた看板を
掲げて、ハグを呼びかけながらピット・ストリート・モールを
歩いていく。
曲を作ったのは、地元のバンド、シック・パピーズだったが、
マンは彼らと一年前からの知り合いだった。
シック・パピーズのリード・シンガーで、
このモールで働いていたシモン・ムーアがビデオ撮りを担当、
曲に合わせた編集までをこなした。
あるニュースでのインタビューでムーアが言うには、
撮りを行ってから手をつけていないままだったのを、
マンの祖母が亡くなったのを知って、
このフリー・ハグズのビデオを編集した。
彼への見舞いのために、天に供物を捧げるような気持ちで
作ったのだという。
彼は編集素材に自分のバンドの持ち歌『オール・ザ・セイム』All the Same を組み合わせて出来上がったものを、
気分が回復するようにと、マンに送った。
こんな行為こそ、
ちょうどマンが「フリー・ハグズ・キャンペーン」で意図していたものだった。

当初持たれていたマンの動機への疑いは、
やがて快くハグを受け入れる人とハグを呼びかける人々
(男女を問わず)の緩やかな増加に取って代わり、
普及が進んでいった。
しばらく後に当地の守衛が、
後には警官が彼らに向けてフリー・ハグズを止めるよう通告を
行った。マンがこんな行為をするために必要な2500万ドル相当の一般賠償責任保険に入っていないというのがその理由だった。
マンと仲間たちは保険金なしでキャンペーン続行を
許可してもらうよう当局を説得するための嘆願書を作成した。
嘆願書には1万人分の署名が集まり、
これを提出することで彼は「フリー・ハグズ・キャンペーン」を続ける許可を受けた。

発祥のように最愛の人がなくなって形になったんだなぁ。
最愛の人が亡くなるのはとっても悲しい。
でもそれをばねにして、世界が変わっていくことが
できるのは素敵ですね。


インターナショナル・フリー・ハグズ・デイ

フリー・ハグズ・キャンペーン公式ウェブサイト上の
フォーラムの参加者たちは、公式の「国際フリー・ハグズの日」を宣言することに決めた。
日時は今年の7月7日、土曜日(もっときっぱり言うと、
7/7/7の日だ)と設定されている。
この日を設ける目的は、フリー・ハグズ・キャンペーンの存在を人々に知らしめるためなのだ。
運営者たちはこの日、世界中の何百もの人たちが
フリー・ハグズに携わってくれることを望んでいる。
(公式ウェブサイト http://www.freehugscampaign.org

7・7.7はもう終わってしまいましたが、
まだまだ続いています。
運営者たちもこの日で終わってほしいなんて
思ってないでしょう。
この日がスタートだったくらいかしら?
これで救われる人がたくさんいるんだろうから
今からでもえいってはじめてみよう。

評判と行為の拡大

 ホアン・マンはオーストラリア「テン・ニュース」で
レポーター、アンジェラ・ビショップに
インタビューされている。
 「フリー・ハグズ・キャンペーン」のビデオ・クリップはYouTube上で大量の積極的な反応を受けた。
4万5000人以上がレーティングに投票したが、
平均が五つ星中で四つという高いものだった。
2007年4月現在では1500万以上のページ閲覧、
2万6000以上のコメント、「お気に入り」
ビデオ入りは 7万9000以上に達している。
またサイト全体でも最多閲覧から10番目に位置している。
同ビィデオは2007年3月27日に発表された
「YouTube・アウォード・2006」投票結果により
"Most Inspirational(今年最も気持ちを高揚させてくれた
ビデオ)"賞を受賞している。

Free Hugについて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(フリーハグ から転送)

フリー・ハグズ(Free Hugs Campaign、Free Hugs、フリー・ハグ)はオーストラリア・シドニー市を拠点に2004年頃から始まり、2006年にはミュージックビデオにもなったインターネットを発祥の地とした社会現象である。

1.概要

街頭で見知らぬ人々と、ただハグ(抱擁)することで苦しみや、
悲しみを少しでも和らげ、楽しさや幸せを分け与え、
その素晴らしさを他の人々にも伝えて行こうという活動である。 その様子はカメラマンがビデオカメラで記録し、
YouTubeなどの動画投稿サイトで公開している。

こうした現象は世界各地へと広がりを見せているが、
日本や中華人民共和国には友人と抱擁する習慣がないため、
このフリー・ハグの活動が浸透していないのが現実である。

中国ではフリー・ハグ・キャンペーンに参加したメンバーらが、事情聴取のために警察に連行されるという珍事にまで発展した。
日本でも「Free Hugs」などと英語で書かれたプレートを持ち、
同じ活動をしている若者がいるが、
日本には抱擁の習慣が無いため日本人にはなかなか受け入れられていないのが現状である。
また「Hug」という英単語の認識率も低いため、
結局外国人観光客らと抱擁を交わすケースが多い。

私もテレビを見ていると外国の人とハグをしているのに
気がつきました。

怖いのかなぁ???


2.歴史

2001年、アメリカのジェイソン・ハンターJason Hunterが
母親の死後「FREE HUGS」と書かれたプレートを持って
マイアミの海岸を歩いたのが起源だとされている。
その後、2004年にはオーストラリアのホアン・マンJuan Mannが
同じように「FREE HUGS」と書かれたプレートを持って街を
歩く姿をビデオに記録しYouTubeに投稿したことで
世界中にフリーハグズの運動が広まった。

てっきりオーストらりがが発祥かと思ってました。
でもアメリカだったんですね。

最愛の人をなくしたときにやはり”HUG”って
すごいと思います。
リアルなつながり、あったかさを感じます。

オーストラリアの友人とはよくはぐしたなぁ。
おうちを訪ねていくとまずハグです。
それが挨拶!!